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バカ「誰も傷つけない表現は可能です!」 実際そうなのか??

「誰も傷つけない表現は可能です」と素人の読者さんが断言して、大体の作家がこっそり「無理だよ誰かは泣くんだよ」ってつぶやいてるの、技術オンチ無茶振り上司に「だからそんなシステムはこの人と納期と機材じゃ組めませんよ……」という不毛な説得をしているプログラマと似てない? 似てないかな。
不完全さが欠けてしまう以上、完全なものは存在しないってね  https://twitter.com/mishiki/status/1422419643495378944 
読者全員が傷つかない表現は理論上可能ではあるが、その場合「作者が」泣いているんだろうな。  https://twitter.com/mishiki/status/1422419643495378944 
事故で隻腕の人が「全員腕がある」ってクレーム入れたら、登場人物全員隻腕になりますか? それで話作れます? って話なんや。  https://twitter.com/mishiki/status/1422419643495378944 
「誰も傷つけない表現」が不可能な最大の例は災害や戦争を扱ったドキュメンタリーの漫画や映画、TV番組だと思う… 例えば誰かが「思い出して傷付くからこの表現はやめるか抑えてくれ」と言い出してそれを反映させると、それは正確に伝わらなくなるし誰の心にも響かなくなりますよね…  https://twitter.com/mishiki/status/1422419643495378944 
でも 素人の発言もトリガーになったりするから あなどれないよね。  https://twitter.com/mishiki/status/1422419643495378944 
何の気なしに発表した表現で誰かを傷つける事もあるだろう それに対して受け取り側が意見や批判を述べてもいい そうやって創作を成長させていけばいいだけの事 しかし一番愚かな事は 「誰も傷つけない表現なんかない」と断じて成長を放棄する事だ 成長無き者の先は衰退しかない  https://twitter.com/mishiki/status/1422419643495378944 
極端な話、感動するワードや作品を見ただけでも「自分もこういうものを作りたかったのに」と傷付く人はいる。 だけど、全く配慮しないのと配慮した結果及ばなかったのでは大きな差もあるのは事実なので難しい問題。  https://twitter.com/mishiki/status/1422419643495378944 
そういう無茶振りする人って「プロなんだから何でも出来るだろ、というかやれ。」とか思ってそう。 だから「現実的に無理なく実現可能か?」という考慮を一切せず、無茶振りをしてる自覚も無いのでは? 回答は「我々は魔法使いじゃないんだから無理」。 我が家では親子2代で同じ結論が出ました。  https://twitter.com/mishiki/status/1422419643495378944 
返信欄の「誰も傷つけない表現は可能です」と断言される事に傷つく作家がいるという論理が面白い。 人間という種がこれだけあふれていて死ぬ事以外に例外が無い異常、絶対的に言い切る事などありえないね確かに。 334って数字だけで傷つく人もいるんだし。  https://twitter.com/mishiki/status/1422419643495378944 
これ火元は何なんだろ? 検索しても2019年に手塚治虫の娘に突っ掛かってたアレなアカウントしか出て来なかった  https://twitter.com/mishiki/status/1422419643495378944 
何事も、誰も傷つけないというのは不可能なのだ(この発言すら誰かを傷つけているかもしれない)。 よって、重要なのは一切他人を傷つけないことではなく、誰かを傷つけていることをある程度自覚し、そのうえでやることなのだ。  https://twitter.com/mishiki/status/1422419643495378944 
「誰も傷つかない表現を要求する読者」というのを批判するtweetを昨日も見かけたんだけど、発端となるその存在が未確認なのでいまいち流れがピンとこない。  https://twitter.com/mishiki/status/1422419643495378944 
16ビットのPosマシンに窓Xp入れてインタネに接続さでろと言った上司や、手書きの書類の束をネットで送れ言った上司や、オンライントレードシステムをホームページビルダー以外は使わずに来週までに作れと言った上司や、キャライラスト300点を明日までに用意しろと夕方に言った上司や……(エンドレス;)  https://twitter.com/mishiki/status/1422419643495378944 
そもそも芸術は人を傷つける側面を持ってってることを知ってて欲しい!!!  https://twitter.com/mishiki/status/1422419643495378944 
無知な時は無知である自覚も持てず、自分の知ってる範囲だけで可否を判断するからなあ ま、大事なのは、知らなかったところを突っ込まれたときの姿勢だけど、無知な馬鹿になると受け入れ拒否るから不毛なんよね  https://twitter.com/mishiki/status/1422419643495378944 
そんな表現が可能なほどの言語や意志疎通が可能だったら、とっくの昔に戦争も紛争も、下手すれば個人間の口喧嘩すら未然に終結しとるわwwwwwwwwwwww  https://twitter.com/mishiki/status/1422419643495378944 
そらそうだ 傷つく原因は人の内側にあるんだから  https://twitter.com/mishiki/status/1422419643495378944 
たとえば本当に紙に「あ」とだけ書いて道行く人に渡したら、そのうちたまたま1人が「死んだ娘の名前が『あい』でね…」と泣き出すかもしれない たった一文字ですらそうなのに、ましてやより複雑な作品表現において誰も傷つけないことなんてどだい無理  https://twitter.com/mishiki/status/1422419643495378944 
「誰も傷付けない表現は無理」なんだけど、「だから表現によって誰かを傷付けることに無頓着であっていい」ではないと思うのよ。 「誰かを傷付けるであろうことを自ら背負う」しかないし、「傷付けた相手に真摯に向き合う」ことは必要だと思う。 真摯に向き合う=相手の言い分丸飲み、ではないよ。  https://twitter.com/mishiki/status/1422419643495378944 
誰も傷つけない表現は可能です と言ってる時点で できない。と悩んでる人を傷つけてるということが分からないのだ。( ˙▿˙ )  https://twitter.com/mishiki/status/1422419643495378944 
誰も傷つけない表現は存在しうる(傷つくというのは個人の主観によるので存在しないことを否定できない)が、誰もそれを知らないし、意図して記述することはできない。  https://twitter.com/mishiki/status/1422419643495378944 
前にも言った気がするが、「誰も傷つけない表現は無理だと諦め、野放図な表現を続ける」のと「誰も傷つけない表現は無理でも、傷つく表現にならないよう配慮する」では、方向性が全く異なる。 前者のような表現のアナーキズムに身を任せて書きたいのなら、チラシの裏がよろしかろう。  https://twitter.com/mishiki/status/1422419643495378944 

コメント一覧

  1. 匿名 より:

    テレビのように誰にでも見れてたれ流しするようなものは誰かを傷つけないように慎重になるべきだ。
    本や映画はゲームのように『この物語には差別的表現がでてきます。※特ア※障害※人種』とか注意書きしたら?

  2. 匿名 より:

    できるよ。
    誰にも理解てきない表現をすれば良いじゃん。

コメント

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