スポンサーリンク

【歴史】三国志の英雄・曹操、劉備、孫権は史実でも本当にすごかったのか

1:名無しさん@2ろぐちゃんねる : 2019/08/28(水) 02:36:28.75 ID:7ymxuKcb9



東京国立博物館の特別展で話題となっている「三国志」。現在発売中の月刊誌『歴史街道』9月号では、「三国志・男たちの五大決戦」と題し、官渡、赤壁、五丈原など5つの決戦を取り上げ、名将たちがいかに決断したかに迫っている。

(前略)ここでは、三国志研究の第一人者である渡邉義浩氏による解説を紹介しよう。

※省略

『演義』では悪玉とされる曹操ですが、史実においては、桁外れの行動力と変革力を発揮しており、規格外の「時代の変革者」と評せます。当代随一の兵法家でもあり、この時代における一番の天才といってもいいでしょう。

彼が成そうとした最大の変革として、「儒教の相対化」が挙げられます。漢の国教とされた儒教は、漢を「聖漢」、すなわち「聖なる漢」との教えを説き、その体制を支えていました。

しかし、そうした漢の体制が行き詰って、国が乱れているわけですから、曹操は新たな時代を創造するためには、儒教第一主義を否定しなければならないと考えました。

その手始めとして、「唯才主義」による人材登用を主張します。それまでの漢の官僚登用は「孝廉」、つまり人として優れていれば、官僚としての才能も保証される、という儒教理念に基づいて行なわれてきました。

それに対して曹操は、貪欲だったり、賄賂を受け取るような人物であっても、才能さえあればいいとしたのです。

あわせて文学を宣揚し、儒教に通じているか否かではなく、文学に優れているか否かを人事基準として、儒教を相対化しようとしました。

中国史上でも、儒教に異議申し立てをしたのは、ほかに近代以降の魯迅と毛沢東しかいません。曹操が果たそうとしたことは、それほどまでに革新的なことだったのです。

余談ですが、それによって儒教は打撃を受け、それまで普及していなかった仏教が後に広まる契機となります。それがなければ、日本への仏教渡来もどうなったかわからず、その意味で曹操は日本史にも影響を与えているのです。

それから曹操は、漢の土地制度と税制を根本から変える改革も行なっており、「中国史上屈指の改革者」と評して過言ではありません。

三国志の時代は、順当に行けば、袁紹による国家ができたことでしょう。名門の家系に生まれただけでなく、戦い方も王道です。彼は、漢と同じ国家像を志向しています。しかし滅びゆく漢と同じことをしても、無理があります。

そうした袁紹に対し、曹操は漢に代わる新たな国家像を提示できた。だからこそ、勝利を収められたのではないでしょうか。

なお、10年ほど前、中国河南省で西高穴二号墓が発掘され、曹操の墓ではないかと話題となったことは、記憶に新しいのではないでしょうか。発掘状況と文献を精査すると、曹操の墓で確実だといえます。

■劉備は諸葛亮に利用された

※省略

三国志の時代に、裸一貫から皇帝にまで上り詰めたのは、劉備ただ一人です。曹操は漢の高官の息子ですし、孫権も弱小とはいえ豪族の出身。何もないところから成り上がった劉備の能力は、やはり極めて高かったといえます。

劉備を支えた諸葛亮は、『演義』では天才軍師として描かれます。しかし、持ち上げられすぎているきらいがあり、それがために苦手という人もいるでしょう。

実際の諸葛亮は、自分の得手不得手をよくわきまえた人物で、経済政策を苦手としていました。ですから例えば、劉備に嫌われていながらも、経済手腕には長じていた劉巴を、何とか高い地位につけようとしています。

戦いの面で言えば、戦略と戦術に分けられますが、諸葛亮は戦術が苦手でした。戦術は騙し合いの世界なので、どちらかというと、人格者ではないほうが優れている。その点、諸葛亮はまっとうな人間であり、嘘や騙し合いの必要な戦術は、さほど得意ではなかったと思われます。

しかし、戦略には優れていました。よく「天下三分の計」といいますが、それ自体は、あの時代であれば考え得ることでしょう。むしろ特筆すべきは、劉備という存在に目をつけたことにあります。

諸葛亮は、漢を敬慕し、純粋に「漢再興」を目指していました。ですから、劉備に三顧の礼を受けた時、内心狂喜したのではないでしょうか。

諸葛亮は、劉備が漢帝室の姓を持つことと、彼が優れた武人であることに注目し、漢再興の旗頭として位置づけることを考え出した──。(続きはソース)

8/27(火) 12:14配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190827-00010000-php_r-pol

★1:2019/08/27(火) 23:45:46.81
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1566921900/



元スレ http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1566927388/

3:名無しさん@2ろぐちゃんねる : 2019/08/28(水) 02:38:21.61 ID:oBTRjTQa0

平和を築けない野心家の群れだな。


4:名無しさん@2ろぐちゃんねる : 2019/08/28(水) 02:38:48.76 ID:ScHQAkWX0

三國志がまず教えてくれるのは

人生に必要なのは
地の利、人の和、天の時
この3法に逆らい無理をしてもうまくはいかない

また、どれだけの才能があろうと
天に愛されなければ事はなせない

全ては天に愛されることが、人生では大事

つまり日本では八百万の神様に愛される生き方をするべきだ。



42:名無しさん@2ろぐちゃんねる : 2019/08/28(水) 02:49:36.95 ID:cmrnieFH0

>>4
地の利→人生は産まれと育ちで決まる
人の和→出会いは運だ
天の時→産まれた時代に合わせて生きろ

人生、頑張ってもどうにもならないから諦めながら生きなさいということだな



52:名無しさん@2ろぐちゃんねる : 2019/08/28(水) 02:51:33.03 ID:5HTCVjJZ0

>>42
天の声が聞こえる人も居るからなぁ



5:名無しさん@2ろぐちゃんねる : 2019/08/28(水) 02:39:29.09 ID:tGCKrQFH0

安倍晋三に例えられるのはやっぱり劉禅だろ
幼い頃からどうしようもなく出来が悪くて家柄だけで国のトップに立つけど頭が悪すぎて周りに迷惑をかけっぱなし



39:名無しさん@2ろぐちゃんねる : 2019/08/28(水) 02:47:50.28 ID:A1dq6m5K0

>>5
みんな楽しく歴史談義してるんだから、ここぐらいでは「アベガー」はやめてほしい



46:名無しさん@2ろぐちゃんねる : 2019/08/28(水) 02:50:34.22 ID:8vacWFQz0

>>5
そうなるのも仕方ないと思うよ 
組織として見てしまうと



7:名無しさん@2ろぐちゃんねる : 2019/08/28(水) 02:40:05.63 ID:inefeT1QO

横山、人形劇、蒼天しか知らない俺に教えてくれ
関羽の凄さを簡単に



25:名無しさん@2ろぐちゃんねる : 2019/08/28(水) 02:44:50.94 ID:eetCVadl0

>>7
敵である曹操が重用するほど魅力はあった
あとはその時に名将顔良を打ち破って成果挙げて劉備の元に戻る忠誠心の高さとかかな



30:名無しさん@2ろぐちゃんねる : 2019/08/28(水) 02:46:11.05 ID:eetCVadl0

>>25
補足。曹操への恩義を果たしてが抜けてた。



27:名無しさん@2ろぐちゃんねる : 2019/08/28(水) 02:45:17.72 ID:ScHQAkWX0

>>7

力が強い
プライドが天より高い
髭がきれい
自分の考えが1番でありアドバイスは聞かない



60:名無しさん@2ろぐちゃんねる : 2019/08/28(水) 02:52:38.53 ID:A1dq6m5K0

>>7
実質、バカ殿の劉備に最後まで仕え尽くしたとこじゃね?
さっきも書いたけど、とにかく関羽は別格。
関帝廟が各地に祀ってある。
日本にも神戸の中華街などにある。



65:名無しさん@2ろぐちゃんねる : 2019/08/28(水) 02:53:26.55 ID:o2wC0Rml0

>>7
算盤の神様



71:名無しさん@2ろぐちゃんねる : 2019/08/28(水) 02:54:48.50 ID:zcStmakY0

>>65
算盤に髭が挟まらないのかなって



68:名無しさん@2ろぐちゃんねる : 2019/08/28(水) 02:54:21.32 ID:2I6EySPY0

>>7
中国人にとって、日本人の「恵比寿さま+楠正成」な、商売繁盛に御利益あらかたな神「関帝」となった。

関羽神社すなわち「関帝廟」は、華僑のメイン神様となり、世界中のチャイナタウンのシンボル、チャイニーズフェスティバルの中心になり、現地社会の観光名所・文化遺産となっている。



9:名無しさん@2ろぐちゃんねる : 2019/08/28(水) 02:41:16.58 ID:DPaW0T+a0

どうしても脇役になっちまうけど徐庶も相当すごかったんだろうなと


28:名無しさん@2ろぐちゃんねる : 2019/08/28(水) 02:45:30.20 ID:2uBqey3D0

>>9
正史の方じゃ具体的なエピソードがないんだよね
それなりの役をもらってるから有能ではあったんだろうけど



13:名無しさん@2ろぐちゃんねる : 2019/08/28(水) 02:43:25.74 ID:ZJw8HXeL0

吉川=横山三国志で良かったのは、劉備が荊州に行った途端に雰囲気が変わる所だな。
それまでは、野戦派の連中にばっかり囲まれてた劉備が荊州名士と交わり始めて、知的な連中を
招き入れるようになる。それで雰囲気がガラッと変わってくる。
その端緒が徐庶だから鮮やかな印象がある。



14:名無しさん@2ろぐちゃんねる : 2019/08/28(水) 02:43:26.28 ID:wo2S5aqV0

しかし、実力主義って言う割にはこの時代くらいから中国貴族政治の最盛期に
向かうのはなんでなんだ



26:名無しさん@2ろぐちゃんねる : 2019/08/28(水) 02:45:14.51 ID:ZJw8HXeL0

>>14
司馬氏が意識的に名士層優遇の政治にしたから。曹操は名士層を抑えることに腐心したが。
この貴族支配は東晋でも続く。これが払拭されはじめるのは異民族政権である
隋唐あたりからだろうか。



40:名無しさん@2ろぐちゃんねる : 2019/08/28(水) 02:48:06.38 ID:isGdwvf20

>>14
知らんけどやっぱり教育受けた人間の方が実力ある人間多いんじゃないの



54:名無しさん@2ろぐちゃんねる : 2019/08/28(水) 02:51:48.97 ID:oTw7pnR90

>>14
実力主義とか何とか言っても
そもそもこの時代に活躍した奴らだって
結局大半が漢代の時点でかなり上級の家柄の出身の奴らばっかりだからな



64:名無しさん@2ろぐちゃんねる : 2019/08/28(水) 02:53:12.88 ID:KUTd1CRG0

>>14
貴族同士の争いだろ

力第一の異民族によって貴族社会は滅んだ
そのあと学力で官僚を選んだ



15:名無しさん@2ろぐちゃんねる : 2019/08/28(水) 02:43:45.98 ID:CMcu2r+W0

・実質、曹操(魏)の独り勝ち状態
・蜀の諸葛亮孔明は、呉の忠実な間者(スパイ)
・張飛、関羽は義兄弟というよりそれぞれ同盟関係というのが正解(晩年は表向きだけ仲が良いよう装ってた)

横山光輝が描かなかったこの3点を抑えておけば一気に三国志が理解しやすくなる



関連記事
【三国志】馬謖は何故、諸葛亮の言いつけを守らず山を登ったのか【謎】

三国志で呉が天下取るにはどうすれば良かったのか

重曹→三国志の武将っぽいwwwwwwww

コメント 1